2009年12月12日

人工膀胱

人工膀胱(じんこうぼうこう、ウロストミー)とは、負傷や膀胱癌の治療のために膀胱を摘出した際に、膀胱に代わって作られる代用膀胱。回腸導管と蓄尿型人工膀胱、自排尿型人工膀胱の3種類、或いは尿管をそのまま腹部皮膚に開口する尿管皮膚瘻を含めて4種類が存在する。 ストーマ(腹部の開口部)を保有する人工膀胱保有者(あるいは人工肛門保有者)をオストメイトと呼ぶ。
回腸導管
末端付近の回腸を15?20センチ切り取り口側を閉鎖、両側尿管をそれぞれ吻合。反対側(肛門側)をストーマとして腹部に開口する。排泄は、腹部の開口部ストーマ (w:Stoma) から行う事になる。
尿は垂れ流しになってしまうので、ストーマから出る尿を溜めるストーマ用装具を使用する。通常専用の袋(パウチ)を下腹部に貼付して膀胱の機能をこれで補う。ある程度の尿が溜まった時点でコックを開け排泄する。外出時や就寝時など頻繁に排泄出来ない時は、大量の尿を蓄積できるレッグバッグや尿バッグなどの蓄尿袋を、パウチに導尿チューブを介して接続して使用すれば、日常生活に大きな支障はない。
蓄尿型人工膀胱
回腸末端及び結腸の一部を使い、体内に袋状の物を作成し尿管を吻合。膀胱の機能をこれで補う。排泄は、腹部のストーマからカテーテルにより行う事になる。
最近は行われる症例が減少している。
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自排尿型人工膀胱
終端付近の回腸約60センチを用いて、体内に袋状の物を作成し尿管を吻合。膀胱の機能をこれで補う。排泄は人工膀胱下部と尿道を吻合。腹圧もしくは手による加圧により、尿道より行われる。ストーマが存在せず、尿を溜める専用の袋(パウチ)などのストーマ用装具を使用しないため、自排尿型人工膀胱保有者は、一般にはオストメイトとして扱われない。
尿道が温存可能な症例にのみ実施される。
尿管皮膚瘻
尿管断端をそのまま腹部皮膚面に出し、ストーマとする。回腸導管の場合と同様、排泄した尿を一時的に蓄積するストーマパウチを貼り付けて膀胱の機能を代用する。レッグバッグや尿バッグなどの蓄尿袋をパウチに導尿チューブを介して接続して使用する場合もある。

2009年12月01日

アサの葉及び花冠に含まれるテトラヒドロカンナビノール

アサの葉及び花冠に含まれるテトラヒドロカンナビノール (THC) や他の物質は、カンナビノイド受容体に作用し陶酔作用を引き起こす。アサの成分は品種によって大きく異なり、THC以外に含まれる成分のバランスによって効果に違いが生じる。特に、ラマルクにより命名された亜種のインドアサ は2000年以上前から中央アジアで品種改良され、一般的な大麻より多くの陶酔成分を含むので一般に嗜好品としての大麻と言えばこのインド麻を指す。また、インドやジャマイカなどではガンジャ(神の草の意)と呼ばれる。嗜好品としてだけでなく日常的な労働の中でも用いられる。ただし、大麻を含め麻薬は当地でも違法であり、厳重に処罰される。しかし、特に最近インドでは大麻やハシシの所持や密輸未遂などで逮捕される日本人が増加している[。

産業用のアサは、陶酔成分が生成されないよう改良された品種が用いられる。また、品種が同じでも産業用と嗜好用とでは栽培方式が異なる。前者は縦に伸ばすために密集して露地に植えられる方式が主であるが、後者は枝を横に伸ばすために室内栽培が多い。そのため嗜好目的のためのアサを産業的栽培だと偽って栽培するのは困難である。また、大麻成分の研究が目的の場合、合成のカンナビノイドが使用されるため、栽培はされない。法規制により、人体による実験や研究は不可能であるが、動物を使った研究が日本国内でも行われ、主に九州大学薬学部、北陸大学薬学部、福岡大学薬学部などが大麻の研究を行っている。
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大麻の薬や嗜好品としての歴史は長く、中国で2700年前にシャーマンが薬理作用を目的としたとされる大麻が発見されている。後漢の頃に成立したとされる中国最古の薬物学書「神農本草経」には薬草として使われていたことが記されている。歴史の父と呼ばれるヘロドトスは、『歴史』において、紀元前450年のスキタイ人やトラキア人は大麻を吸っていたと伝え、70年にはローマの医学治療として大麻の使用が言及された。アラビアと中東では900年から1100年にかけて大麻の喫煙習慣が広まった。アメリカ大陸においては、1549年にアンゴラの奴隷がブラジル東北部での砂糖のプランテーションで砂糖とともに大麻を栽培し、喫煙していた。

2009年11月27日

救急搬送の権限・責務を有するのは

法令では、救急搬送の権限・責務を有するのは市町村消防機関のみであるため、都道府県消防・防災ヘリによって救急搬送するために、各都道府県は管内市町村とヘリ運航協定を締結している。当初は協定のみに基づいて救急搬送が行われていたが、2003年(平成15年)の消防組織法改正において、都道府県も管内市町村長の要請に応じ、航空機を用いて当該市町村の消防を支援できるとする規定(消防組織法第18条の3)が設けられ、都道府県消防・防災ヘリによる救急搬送に、明確な法的根拠が与えられた。

消防庁の指導により、救急救命士の搭乗が望ましいとされており、特定の医療機関と提携して、市町村から救急搬送の要請があったときは消防防災ヘリに医師を常時同乗させて「ドクターヘリ」のように運用を行っている都道府県もある。こうした取り組みは山口県が2003年(平成15年)9月から日本で初めて運用開始しており、以後、埼玉県、岐阜県など消防防災ヘリによるドクターヘリ運用を開始した都道府県が増えている。
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埼玉県は、2005年(平成17年)8月1日より県の防災ヘリで救急医療を実施してきたが、出動要請を受けた埼玉医科大学総合医療センター(川越市)の医療スタッフが、川島町の県防災航空センターに待機する防災ヘリに駆け付け離陸するまでに約25分を要することや、大型のヘリのため着陸できる場所が限られるなどの理由で、これまでの出動件数はわずかに37件であったため、2007年(平成19年)10月26日に、ドクターヘリ導入に踏み切った。さらに、2008年(平成20年)年度は輸送時間の短縮化等を計るため、144ヶ所より3倍の460ヶ所に増やし2009年(平成21年)年度は、高速道路上なども新設する計画。

2009年11月13日

就職氷河期に遭遇した世代は

高校・大学・短大・専門学校を出た頃に就職氷河期に遭遇した世代は、氷河期世代と呼ばれる事が多い。外にも、「貧乏くじ世代」(香山リカ)や「ロストジェネレーション」(朝日新聞が、2006年8月及び2007年1月5日付28頁?29頁の特集で使用)などと呼ばれている。生年でいうと、1970年?1984年生まれが、氷河期世代に該当する。この氷河期世代には、安定した職に就けず、派遣労働やフリーターといった社会保険の無い不安定労働者(プレカリアート)である者が非常に多い。『反貧困』の著者である湯浅誠によると、負傷で解雇された氷河期世代の派遣労働者は、「夢は自爆テロ」と言い放ったという。

氷河期世代には、育った時代背景によって3つの層があると言われる。初期は団塊ジュニア(1970年代前半生まれ。親が戦中生まれ世代)、中期は真性団塊ジュニア(1970年代後半生まれ。親が団塊世代)、末期はポスト団塊ジュニア(1980年代前半生まれ。親がポスト団塊世代)に相当する。
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「氷河期世代」と呼ばれる1971年?1981年(大卒者の94卒から04卒に該当)生まれは、高度経済成長期の終わりから安定成長期にかけて生まれた世代である。氷河期世代が育った時代背景を見ると、1970年代生まれ(初期と中期)は、冷戦の世界や好景気の時代を知っているのに対して;1980年代前半生まれ(末期)は、思春期には冷戦も好景気も終わっていた世代である。特に、氷河期世代中期は、戦後生まれの中では最も激動の時代に思春期を送った世代と言える。

時代背景と就労の特徴
団塊ジュニア:大学・高専・短大・専門学校の卒業者が急転直下の就職難に遭遇した一方で、高卒者はバブル景気の恩恵を受けたまま就職した。

2009年11月01日

子宮外妊娠

受精卵が何らかの理由で卵管など子宮以外の場所に着床した場合は子宮外妊娠と呼ばれ、放置すると危険な状態になる。産婦人科での緊急な処置が必要となる。

着床した受精卵の初期胎盤から分泌されるhCGという特有のホルモン(これが黄体の寿命を延ばして子宮に着床状態を維持させる)の検出により、女性の尿が少量あれば妊娠の有無は簡単に判定できる。判定薬は薬局で求めることができるが、より確実を期するためには医療機関を受診する。

受精後胎齢と月経後胎齢の二つの数え方がある。前者は発生学で用いられ、後者は臨床産科で用いられる。

受精後胎齢
受精初日を1日目として、満日数、満週数であらわす。
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月経後胎齢
最終月経初日を1日目として、満日数または満週数で表す。
両者の関係は「受精後胎齢 = 月経後胎齢 - 2週」で表せる。

日本やアメリカでは一般に最終月経の第一日目を妊娠0週0日とする月経後胎齢で妊娠期間を計り、40週0日を標準的な妊娠期間として出産予定日を導出している。ただし最終月経を起点とするこの数え方では、同じ週数でも各人の月経周期の長さ(最終月経から排卵までに要す日数)によって妊娠の経過にばらつきが出る可能性があるため、現代の医学の下では妊婦健診における胎児の発育度合いから逆算しておよそ受精日=2週0日となるように微修正を加えることも多い。

2009年10月21日

飲料水

飲料水(いんりょうすい)は、上水道水、井戸水など人の飲用に供する水。その他、食料品としての飲料水(清涼飲料水)がある。

人間が飲用可能な水は、余分な成分があまり入っておらず、有害な微生物の含まれないものである。日本に於いては、多くの河川の中流以上であれば、その水が飲用可能であり、昔から飲み水に困ることはなかった(現在ではむしろ環境汚染(水質汚濁など)のために飲めない場合がある)が、世界的に見れば珍しい方に属する。それ以前に、河川すらない地域も世界には多い。

まず、海水は飲めない。塩分などが多すぎるからである。同様に、内陸でも塩分などの多い水は飲めない。火山地帯などでも、特殊な成分を含んで飲めない水がある。

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また、病原微生物を含む水は飲めない。飲むと腹痛を起こしたり、下痢になったり、もっと恐ろしい病気になったりするからである。この点に関しては、個人の体質や耐性も関係する。現地の人間は無事でも、旅行者には危険な場合もあり得る。しかし、多くの地域では、生水は危険である。

熱帯地方では河川の水が危険である場所が多く、むしろ野外から得られる水より、ココヤシの果実の中の水など、植物体内の水を利用する例が多々ある。植物体内であれば、ほぼ無菌に近いからである。ウツボカズラの捕食袋の水も飲用にされる。ただし、袋が開く前である。

2009年06月21日

アメリカの全国紙

"National newspaper"と呼ばれているのが、日本で言うところの全国紙である。USAトゥデイ、ウォールストリートジャーナル、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、クリスチャン・サイエンス・モニター、ロサンゼルス・タイムズ、ワシントン・タイムズの7紙が全国紙である。そのうち全米の読者を対象としているのはUSAトゥデイと経済紙のウォールストリートジャーナルである。

イギリスの全国紙 [編集]
ブロード・シートと呼ばれているのが、日本で言うところの全国紙である。インデペンデント、タイムズ、ガーディアン(オブザーバー)、デイリー・テレグラフ、フィナンシャル・タイムズ、エコノミスト、デイリーミラー、デイリーメール、ザ・サンの9紙が全国紙である。

ドイツの全国紙 [編集]
ビルト、ディ・ヴェルト、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング、ディー・ツァイト、南ドイツ新聞と経済紙であるフィナンシャル・タイムズが全国紙である。

イタリアの全国紙 [編集]
フィアット社系のコリエレ・デラ・セラ、共産党系機関紙であるユニタ、経済紙のSole-24 Oreが事実上の全国紙である。

フランスの全国紙 [編集]
ル・モンド、ル・フィガロ、リベラシオン、フランス・ソワールと経済紙のレゼコーが全国紙である。

オーストラリアの全国紙 [編集]
オーストラリアンと経済紙であるオーストラリアンファイナンシャルレビューが日刊の全国紙である。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合

韓国の全国紙 [編集]
朝鮮日報、中央日報、東亜日報、ハンギョレ、韓国日報

ブラジルの全国紙 [編集]
Folha de S. Paulo(フォーリャ・デ・サンパウロ)、Jornal do Brasil(ジョルナール・ド・ブラジル)、 O Estado de S. Paulo(オ・エスタード・デ・サンパウロ)、O Globo(オ・グローボ)と経済紙 Gazeta Mercantil(ガゼッタ・メルカンチル)

中国の全国紙 [編集]
人民日報
光明日報
参考消息
環球時報
解放軍報
解放日報
文匯報
新民晩報
工人日報
中国青年報
中国婦女報
中国教育報
中国少年報
中国児童報
文匯読書周報
中華読書報
経済日報
経済参考報
経済観察報
中国証券報
中国経営報
21世紀経済報道
21世紀環球報道
南方周末
南方体育
西部時報
電脳報
中国日報

2009年06月03日

資源ナショナリズム

資源ナショナリズム(しげんナショナリズム)とは、自国に存在する資源を自国で管理・開発しようという動き。資源の所有権を強く意識する考えが、民族・国土を重視するナショナリズムに例えられている。

産業革命以後、飛躍的に資源利用が増大してから、植民地に存在する資源は先進国の多国籍企業により管理・開発されることが多く、植民地が次々と独立を遂げる中で、自国の資源を自国のものにしようという動きが高まった。特にドンバス、ウラル、バクーの開発を外国資本が行った帝政ロシアを打倒、国有化させたソビエト連邦はその典型である。そして、1962年に国際連合で「天然資源に対する恒久主権の権利」の宣言[1]が出された。その内容は、

天然資源が保有国に属し,資源保有国の国民的発展と福祉のために用いられるべきこと
資源開発に従事する外国資本の活動について,資源保有国が種々の条件・規制を課すことができること
資源開発により得られた利益は,投資側と受入国側との協定に従って配分されねばならないこと
である。

これらの考えから、特にイラン革命後のイラン、リビア、南米などでは先進国企業の開発施設に対する国有化が積極的に行われ、また近年でも行われている。

1973年、石油危機において資源ナショナリズムは、その威力を発揮した。アラブ諸国は、原油価格を吊り上げ、対イスラエル政策への賛同と石油輸出をリンクさせたのである。こうして、資源は「先進国に売らなくてはならないもの」から「先進国との外交交渉におけるカード」へと変わった。資源輸出国は交渉力を高めるために、資源毎の連合を組んだ。
クレジット 審美歯科 生活雑貨 老人 健康食品 専門学校 信越北陸 セミナー 公園 プチ整形 賃貸 メイク SEM促進 出会い 老人 リフォーム ぜん息 学習 文房具 プリスクール 近畿東海 ケア 旅行 ネイル SEO対策 結婚 マンション 仏具 整体 特産品 健康 ぜん息 サプリ 教育 ショップ ステイ キャンプ場 しみ取り 化粧品 プチ整形 旅行代理店 新築 ぜん息 防犯 整体 事務用品 語学 不用品 生涯学習

特に、石油輸出国機構は原油価格を操作することで1970年代の世界経済に絶大な影響を及ぼした。オイルダラーの発生は国際金融市場をも通じて世界へ影響を与えた。

1980年代、アメリカにおいて次々と商品先物市場が形成された。商品先物市場で決まる先物の価格が、現物の価格の指標となった。資源価格は市場で決まるようになった。また、高騰した資源価格は世界各地で試掘投資を活性化させ新興資源国が生まれた。こうして旧来の資源輸出連合諸国は価格の主導権を失い、市場価格に基づき増減産や設備投資を迫られることになった。

2009年04月30日

植民地では18世紀後半までに

バージニア植民地では18世紀後半までに上層階級の男性は管理の学識を持つようになり、古典的な教養や近世の思想家や法律家の著作にある程度通じていた。初等教育はプロテスタントの教区学校によるものか、個人教師による教育が一般的であった。

健康・健康関連スキンケアCOM
信託・建売関連ビジネスビジネス紹介
セキュリティ・クレジット関連快適生活ナビ
介護・精神医学関連健康家族サーチ
リンネソウプライムショッピングガイド
イーダッシュ教育ジャンプCOM
動物園・交通関連国内旅行特集COM
脂肪吸引・理容関連キレイ・美容全国情報ガイド
内職・調査関連ビジネスワールド紹介
運勢・結婚関連生活雑貨情報

1693年にはスコットランド出身の聖職者ジェイムズ・ブレアがイギリス国王の勅許状を得て、ウィリアム・アンド・メアリー大学を設立した。ウィリアム・アンド・メアリー大学は植民地の子弟教育を目的としてウィリアムズバーグに設立され、トーマス・ジェファーソンやジェームズ・モンローなど、後の独立運動で重要な働きをする人物を輩出した。

1754年頃からオハイオ川流域では、イギリスとフランスの対立が顕著になった。フランスは同地域へのイギリスの進出を阻止する構えを見せ、バージニア植民地政府の命を受けたジョージ・ワシントンは1754年春から夏にかけて、バージニアの兵士を指揮してデュケーン砦を占領しようとしたが、優勢なフランス軍に敗れた。

1764年から1765年にかけて、イギリス本国ではジョージ・グレンヴィル内閣を中心に砂糖法や印紙法などを次々と制定し、植民地への課税を進めた。この動きを受けて各植民地では強い抗議の声が上がり、バージニア植民地議会でも「代表なくして課税なし」をスローガンに反対決議が成立した。イギリスの商人たちからも印紙法の制定には反対の声が上がった。1766年、グレンヴィルに替わってロッキンガム内閣が成立すると、印紙法の実施は不可能であり、事態収拾には同法の撤回もやむをえないとの判断に傾いた。そして1766年3月、印紙法は撤回された。だが同時に、本国議会はイギリス帝国最高の機関であり、植民地を拘束するあらゆる立法権を有することを確認する宣言法が制定された。

2009年04月15日

サーミ人

サーミ人(?じん)とはスカンジナビア半島北部ラップランド及びロシア北部コラ半島に居住する民族。フィン・ウゴル系。サーミ語を話すが、ほとんどがスウェーデン語、フィンランド語、ロシア語、ノルウェー語なども話すバイリンガルである。ちなみにラップランドとはスウェーデンから見て辺境の地を呼んだ蔑称。彼等自身は、サーミ、あるいはサーメと自称している。フィンランド国内では少数民族として保護されている。北方少数民族として、アイヌ民族などとの交流もある。錫を使った手工芸細工が有名である。

もともと狩猟・遊牧を行なう民族であるが今日、サーミは定住し、ほとんど多数派の人びととかわらない生活を営んでいる。チェルノブイリ原発事故以降、トナカイの汚染が進み、伝統的な放牧生活を送る事はいっそう難しくなってきている。キノコや地衣類などの菌類は放射性物質を吸収しやすいと言われ、トナカイの主食がハナゴケ(地衣類の一種)であることから、特に汚染が進んだと思われる。

かつては「ラップ人」とも呼ばれていたが、近年は蔑称のため避けられている。

サーミ人と思われる民族のことが初めて文献上に現れるのは、紀元1世紀に古代ローマの歴史家タキトゥスによって著された『ゲルマーニア』においてである。この文献では、サーミという名前ではなく、フェンニーという名前で呼ばれている。

「フェンニー」という名は今日の「フィン(ランド)」に通じるものがある。実際、フィンランド人の間に民族復興の機運が高まった当時、このフェンニーこそが我々の直接の祖先であると主張する動きも存在したが、しかしここで挙げられたフェンニーがフィンランド人の祖であるとは考えられない。今日までに行われた研究によると、ここに言うフェンニーはむしろ、東はヴィスワ川下流からウラル山系に向かう地域を点々と長く居住地とし、後にはフィンランド湾の沿岸に至る方面にも来ていた印欧系以外の若干の民族を広く指したものであるらしい。 また、サガの世界にも、交易を行う民として、サーミ人らしき民族について言及している個所もある。

いずれにせよ、それ以後スカンディナヴィア半島に移住してきた様々な民族、「国家」が再びこのサーミ人に注目し始めるのは、13世紀以後、北欧諸「国家」が誕生し、その国境を規定する必要が生じた時であった。

以下、サーミ人の歴史を大きく3つの時代に分けて説明する。

1251年から1550年 [編集]
この時期、ノルウェー、ロシア(ノヴゴロド)王国、スウェーデンの三国間でラップランドにおける国境、徴税権に関する合意が成立する。この合意の下、元々単一の民族であったサーミ人は分断され、異なる国家の、異なる支配体制、徴税体制、司法体制の下に置かれることとなった。現在のフィンランド近郊に居住していたサーミ人は、スウェーデンの支配の下に置かれた。これは、当時フィンランドがスウェーデンの一部に組み込まれていたことに起因する。また、スウェーデンはカトリック教会の支配下にあったが、ラップランドもこの体制に組み込まれた。

コラ半島に居住していたサーミ人(skoltサーミと呼ばれる)は正教会とノヴゴロド公国の支配下に置かれた。また、Skoltサーミはツァーに土地、水に関して徴税を課され、土地登記の義務も負うことになった。

現在のフィンマルク県に居住していた全てのノルウェー・サーミ人はロシアの統治下に置かれた。

このように様々な国家の統治下に置かれたサーミ人であったが、これに先立つ12世紀頃から、すでにサーミ人はノルウェー国王に対し、「ラップ税」を払うことを求められていた。このラップ税とは、そもそも貢納的、人頭税的性格の強いものであり、支払いはカマス等の乾燥魚、トナカイの仔、クジラやアザラシの皮革ロープ等で求められていた。これは、「ラップ」が17世紀までいずれの「国家」の国民なのか明確には定められていなかったため、従来の農民に対するような徴税を課せなかったことに起因している。また、当時から「ラップ」のトナカイ飼育、狩猟、漁労活動が特別な、「ラップ生活様式」として法律の中にも明記、認識され農地税徴収の対象とはなり得なかったことも、その原因の1つとなっている。

1551年から1808年
17世紀初頭、「ラップ」はノルウェーもしくはスウェーデン=フィンランドの国民として「国家」に組み込まれた。この帰属の背景には、ノルウェーとスウェーデン両国間の関係が悪化しており、以前のような曖昧な国境規定は両国間の安全保障上好ましくないものであったという事実がある。

そして1751年、国境条約が締結された。これはデンマーク=ノルウェー王国とスウェーデン(及びその一部「東部地方」であったフィンランド)の間で交わされたもので、ラップランドにおける北欧諸国家の国境を明確に定めるという性質を持ったものであった。しかしこの条約は、決してサーミ人の権利を侵害するものではなかったのである。国境条約・第二条第二項には、サーミ人はトナカイの遊牧をする民族であり、そのためには両国の土地が必要であるということ。同・第十条には、その生活様式を維持するため、両国が公平な援助を行うことを取り決める旨が記されていた。

この国境条約は、サーミ人の権利とその生活様式の正当性を認めるものであったが、しかしこの締結にともない、多くの「ラップ」は定住化の道を選んだ。また、定住化しなかったサーミ人に対しても、相変わらず「ラップ税」は適用され続けたが、この時代になって、「ラップ税」はその本来の貢納的、人頭税的性格のものから、土地や水域の借用税に変化していった。このことが、サーミ人の五つの異なる生活様式を生み出す直接の原因となった。つまり、大規模トナカイ遊牧専業民「山岳サーミ人」、農耕、牧畜、狩猟、漁労を行う定住民としての「海岸サーミ人」、「森林サーミ人」、「河川サーミ人」「湖サーミ人」などを生み出したのである。

上記の通り、「山岳サーミ人」は「ラップ税」の対象であったが、定住農民化したサーミ人(主に羊や牛の飼育を専業にしていたと思われる)は、「ラップ」とは見なされなくなった。そして、「ラップ税」を免除され、代わって農地徴収税を課されたのである。この点から、北欧諸国家の「ラップ人」に対する基本的な姿勢をうかがうことができる。つまりこの措置は、北欧諸国家にしてみれば、トナカイ遊牧という「ラップ生活様式」を続ける、ある種異質な文化、生活様式を持っている者こそが「他民族」であり、自分たちと同じ生活(農耕や漁労)を行うようになった民は、すでに自分たちと同じである、という認識の明示にほかならない。

18世紀後半になると、スウェーデン領においてスウェーデン人がラップ地域を北上し、開拓や植民を行うために定住したため、この地域のサーミ人はさらに北部や東部へと追いやられることとなった。サーミ人の中には、定住したスウェーデン人と混交してスウェーデン化した者も少なくない。

サルカ おれたち レンソ ステキな レッスンプ モラル ハート バイオポ キックボ カーヒー テガシワ ビュル テープデ ブークレ バーキ ヒートシン カタル スノーソ シーディー スカラー ヒデリコ ステル トローチ ブレス カナリア プネー フリップ ジャイプ せんこう サミング セント レナン クジャク ダイレ リード ユーブ ピーク ぶるーべ ドライフ ドック フルガイド案 けーるナビ クローシス バーベル トロツ ビット ドラッグ 夢海峡 風のシア バスタ